本物の力や幸福感をもたらしてくれるのは「何」なのか、「誰」なのか…?!

前回のブログで少し書かせていただいたのですが、

今回は、ここ最近の心境の変化について、

改めてきちんと書き直した投稿文になります。

どうぞ、よろしくお願いいたします🦢*。゚

私は何年も前に「横糸刺繍」にたどり着き、

色々な模様を考案して活動していましたが、

近年はその活動もかなりセーブした状態になり、

ここしばらくは(黙って)完全にお休みもしていました。

そして、今年に入って4月あたりから、

またムクムクと自分の中で刺繍に焦点があたってきて、

「もう一度、ちゃんとやってみようかな…」との思いが深まり、活動を再開しています。

ですが、これまでの活動と今回の再開では、

同じ「横糸刺繍」にたずさわっているにもかかわらず、

その心境が全く異なっていることに気がついたのです…😲。

これまでの私は、

明らかに自分のために刺繍をしていたと言えます。

多くの人にこの刺繍を知ってもらい、

楽しんでほしいという思いはありましたが、

それでも結局は、

「自分の理想とするライフワークを確立したい」という思いが中心にあったのです。

誰かに喜んでもらい、

その結果として自分の道ができあがっていけば、

それが最高に幸せな人生なのではないかと考え、信じて疑っていませんでした。

そのため、私は若い頃から自分の琴線に触れることを、

失敗と挑戦を繰り返しながら、可能な限り手を尽くして頑張っていたのです。

それなのにどういう訳か、活動を続けているうちに、

やってもやっても自分の中で何かが行き詰まってしまい、

終いにはだんだん苦しくなって、

「ちょっと限界かな…」というところでストップしていた状態でした(◎_◎;)

ところが、今年に入って再開した今は、

刺繍に対して向かっている気持ちが全く違うと感じるのです。

以前より、単純に素直に生き生きしているというか、

まだ何か新しい結果をハッキリと出せたわけではないのですが、

それでもその行程が嬉しく感じられ、元気も出て、心の底から力が湧いてくる気がしています*。゚

私はこのような感覚を、今までに体験したことがありませんでした。

活動再開以前と今の状況の違いは、

やはり、信仰を持って数年が過ぎているということだと思います。

これまではずっと、「自分のため」に突っ走っていた状態から、

今は、「神様のため」に生きるようにしたいという、

大きな心境の変化が現われていることが、明確な相違点です。

クリスチャンになって年々、

「神様の手足となって働きたい」という思いが増していて、

それは私にとっては変化というか、成長に繋がっていると思います。

以前と違い、自分のために生きるのではなくて、

神様のために生きようとする自分に変わっていることが、

今の精神的安定や喜びをもたらしてくれていると感じるのです😊

そうして実践していると、

もっと神様のために頑張ろうという思いが増して、ふつふつと力がみなぎり、

神様への感謝の気持ちが溢れ、幸福感に満たされてくるのです。

結局、私を幸せにしてくれるのは、「横糸刺繍」そのものではなくて、

「神様」なんだと、改めて思うようになりました。

もっと言うと、

  「神様の愛」でしょうか…。

真の力や幸福感は、

神様によってもたらされるものなのだとわかったのです。

クリスチャンになってようやく、

「目には見えないけれど、確実に存在している偉大な存在、その力」に気づくことができましたことに感謝して、

神様のお力になれますよう、

これまでに増して心を込めて、1日1日を大切に過したいと思っています。

簡単ではありますが、

信仰を持ってからの心境の変化をブログ記事として綴ってみました。

いかがでしたでしょうか…?

どうか、たくさんの人々に、

天界からの祝福と恵がもたらされますよう、心からお祈りいたします。

ありがとうございました。

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