数年前に信仰を持って、
今は「クリスチャンです」と名乗っている私ですが、
今になって不思議に感じているアレコレを、呟いてみたいと思います
日本は当然と言えば当然なのかもしれませんが、
見渡す限り、神社仏閣が並んでいて、
私も以前はお正月など、お参りに行っていました。
(今は、故意に足を運ぶことはないのです…。)
そして今にして不思議に思うことの一つが、
「お参りに行く」という行為はもしかして、
宗教行事に参加するということだったのだろうか…?、
ということです🤔。
神社もお寺も、それぞれの宗教なのだと思うのですけれど、
私自身、当時は無宗教と言いつつ、
日本の生活の中にいくつもの宗教的なものが入り込んでいることに、
何の意識もせず、考えもずに生活していたのだなと、
今になって思います。
本当にお参りも、何も考えずにしていたなぁ…と、思うのですが💦、
でも、おそらくそれは私だけではなく、
ほとんどの日本人がそのような感じなのではないでしょうか。
他に疑問に感じた点は、
もしも家の中にお仏壇と神棚があったら、
それは2種類の宗教が混在しているってことなのでしょうか…?
う~ん…???🤔🤔🤔
「そんな深く考えなくてもいいじゃん!」
と、お思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、
「宗教は嫌い・怖い」と思って生活していたハズなのに、
実は立派に宗教に関わって暮らしていた(しかも複数の?)という矛盾が、
クリスチャンになった今の私には、
心底不思議に感じてしまうのです…😅
神社の場合は宗教というより、
「地域の行事」という雰囲気に該当するよう、
意識付けられているような面もあるような気がします。
子供の頃からあまりにも当たり前にあったので、
そういうものだと思って、
その意味するところを何ら深く考えず、
ただ安穏と過ごしてきてしまったなぁ…と、思います。
「宗教」という言葉だけで毛嫌いされてしまう風潮のある日本ですが、
それはそれで、「人生のチャンスを逃している」とも、言えると思います。
自身の生活の中で日々営まれている行事など、
それが何を意味することなのかしっかり把握して、
その上で自分はどう捉え、生きていくべきなのか、
もっと10代、遅くとも20代のどこかで、
真剣に学び考える機会があっても良かったように感じます👨🎓👩🎓📓✐
日本全体がここ数十年間、
とにかく深く考えない、ふわふわ楽に楽に…という風潮で、
流されるように来てしまった気がしますが、
果たしてそれは、
日本人にとって本当に是だったのでしょうか、非だったのでしょうか…?
聖書を読み、この書物に登場される神様が、
本当の神様だと直感した私📖*。゚
今も毎日少しずつ、繰り返して聖書を読み進めていますが、
あの時の直感は揺らぐことなく、
神様と繋がって生きていくことの大切さを、むしろより強く感じています。
世の中がどう見ても不安定な方向へ、
まっしぐらに進んでいるような気配を感じますが、
そろそろ皆さんもお感じなのではないでしょうか…?
「あとは何が出来るんだろう?
もう、神に縋(すが)るしかない。祈る以外に他はない…のでは?」
この感覚は、一見不安定で危険なように聞こえるかもしれませんが、
人間として当然至極、正しい感覚なのだと私は思うのです。
結局この世は、
人間の力だけでは生きられないようになっているのだと思います。
(聖書を読むと、こういったことがよく分かります。)
「助けて下さい」と神様に寄り頼み、祈ること、
これは誰にでも出来る、むしろ自然な行為だと思うのです。
※過去記事もどうぞ。
神様を愛し、縋(すが)って良いのです。
是非とも神様に、辛いこと、苦しいこと、悲しい気持ちなど打ち明けて、
助けて欲しいと祈ってお願いしみて欲しいと思います。
そうすることに、特別に必要なものは何もありません。
誰にも言わなくて秘密にしていても大丈夫だし、
お金も一円もかかりません!
ネガティブな考えに捕らわれ過ぎる前に、
どうぞ、そっと、
神様に頼って、お願いしますとお話ししてみて下さい。
純粋な気持ちで神様を求める人の心に、神様は寄り添って下さるはずです。
それこそ、多くの人が神様に寄り頼み、
世の中を変えて下さいと祈るなら、
それが御心にかなっていれば、不可能ではないかもしれません!😊
もしも、辛い考えにがんじがらめになって苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、
最後の最後でも良いから、神様に頼ってみて欲しいと思い、
今回のこのブログを綴ってみました。
どなたかのお役に立てましたら、誠に幸いなことです。
✦「求める」に関する聖句 ✦
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、
自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、
天にいますあなたがたの父はなおさら、
求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
<新約聖書 マタイによる福音書 第7章7-11節>
最後までお読み下さり、
ありがとうございました。
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