
前回のブログで少し言いかけていた、
私の「ブローチ作り」についての不思議ないきさつを、
きちんと記事にしてみました。
(よろしければどうぞ、お付き合いください…👀*。゚)
前回の記事はこちら⇩

私が横糸刺繍にたどり着いたのは約10年くらい前ですが、
実はそれからしばらくして、
「刺繍のブローチを作る人になりたい」
という思いを漠然と抱くようになっていました。
ですが、ブローチという小さな面積の中に、
横糸刺繍で模様をほどこすとなると、
仕上りの寸法の予測や、試作の多さなど、
図案を完成させるまでにかなりの根気が必要で、
やっている途中で嫌になってしまう…といった壁にあたることが多々ありました😥
加えて当時の私は、同じ作品を何個も作成することが本当に苦手で、
仮になんとか苦心して図案を考えたとしても、
数をこなして作るということが、どうしても出来ませんでした。
(少しオーバーな言い方かもしれませんが、
同じ物を何個も作ろうとすると、 「気が狂いそうになる」ような感じがしていたのです…😨💦)
ですので、他のブローチ作家さんの作品を見ては、
「いいなぁ…」と憧れを抱くものの、
自分には難しいと考え、
すっかり諦めた状態のまま随分と時が経っていました。

それなのに、ここ最近の私のブローチ熱は一体どうしたことでしょうか…?!
試作も含めて何個作っても嫌になることはなく、
むしろどの模様のブローチも、
色違いをもっと作りたいと思っているほどです♡*。゚

ブローチ作りを(憧れてはいたものの)あんなに苦手としていたかつての自分と、
今の自分と、
一体なにが違うのか思案してみたところ、
やはり数年前にキリスト教に出合い、
「神様と共に歩む」という考えを持って生きるようになったこと以外はないように感じています。
私は信仰を持つようになって年々、自分のために生きるのでなく、
神様のため、御心に沿って、
その手足となって働きたい(生きたい)と思うようになっているということを、
少し前にブログ記事として投稿しています。
「自分のためでなく、神様のために生きる」についての
過去記事はこちら⇩

ですがどういうわけか、
「神様のために」という思いを持って、御心に従おうと努めているはずなのに、
なぜか『かつての自分の憧れ・願いが達成される』という現象が起っていることが
不思議でならないのです…🤔
私はこれまで、「ブローチ作家になれますように」と明確に願ったことはなく、
(むしろ、それに憧れていたことは忘れていたくらいです…。)
神様のお役に立てる者となれるよう、日々意識を持つようにしていました。
それなのに(ある意味とても自然な流れで)、
「神様が、私の能力や願いを引っ張り出してくださっているのでは…?」
という状態にたどり着いていることに気がつき、とても驚いているのです。

いつだったか偶然に、
「ふわふわブローチ」の作成動画をネットで見つけて感激し、
実際に作ってみたところ、とても気に入ってしまい、
ふわふわブローチの経緯につきましては、
過去記事をどうぞ⇩

同時期に、かつて着手していたウッドタイプのブローチを思い出し、
こちらも新たに聖書関連のモチーフで作成してみたくなり、
さらにたまたま、
過去作品である「お花のリースブローチ作品」を部屋の奥から発見した結果、
聖なる雰囲気の漂う作品としてリメイクしてみたくなったのです👀*。゚

今回、ぶどう模様のブローチ図案を作成していたときも、
確かに何度かくじけそうになる場面がありましたが、
それでも聖書にたくさん登場するこのモチーフを、
なんとかして形にしたいとの思いが強く、本当にすがる思いで模様の考案を続けていました。
そうした結果、最後まで投げ出さずに諦めることなく、
とことん納得のいく仕上りで着地することができたのです。

信仰を持つ前の私は、
神様を知らず、ただひたすら自分のために生きていましたので、
天を仰ぐこともなく、今回の様な底力が働くこともなく、
単純に作業がほとほと嫌になってやめてしまった…ということだったような気がします💦
同じ作品を何個も作ることに対する苦手意識も、
自分のためにだけに生きていた「過去の自分」と「今の自分」では、
持っている考えや目的意識が全く違うと感じています。
今は少しずつですが、
「もしかしたらこのブローチ作りを、神様も温かい目で見てくださっているのかもしれない…」
という思いが自分の中にふと浮かぶことがあり、
もしそうなのであれば頑張りたいですし、
実際、(以前のように)何個も作る作業が苦だとは感じていないのです。
むしろ、「清らかな雰囲気のするブローチをたくさん作りたい」という気持ちに、
自分自身が突き動かされているような感じがして、
作業は楽しくワクワクとして、もっと作成したいと思っているほどです。

何をしたら神様のお役に立てるのだろうかと思案する日々の中、
想像してもいなかった、
本当に不思議な現象が起っていると感じています。
ですがとにかく、
私にとっての「かつての夢」が叶いつつあるのですから、
嬉しいとしか表現のしようがなく、
神様に対して、感謝の気持ちしかありません。
(本当にこうした一連の流れが御心であるのかどうか、
そして、神様のお役に立つことに繋がって行くのかどうか、
今はこのまま、心を込めて作成を続けてみないとわかりません。
とにかく行けるところまで力の限り突き進んで、
結果がどんな形であれ、
願いを叶えてくださる神様に恩返しがしたいと思っています。頑張ります!😤💪)

…いかがでしたでしょうか?
今回は信仰を持ってから変化している、
私の不思議な体験をお話しさせていただきました😊
ブローチを含め、今後こうした活動がどのような流れになっていくのか、
私にもまだはっきりとはわかりません。
ですが、これからも神様に依り頼みながら感謝して、
希望を持って進んでいきたいと思っています。
(長文にお付き合いくださり、ありがとうございました🦢*。゚)

✦「目的」の文字が含まれる聖句 ✦
また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、/力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。
肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。
また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。
すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
<新約聖書 ヘブライ人への手紙 12章5-14節>

この地に福音が広まって、
たくさんの人々が神様を知って救われますことを、
心からお祈りいたします。

最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
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