私は元々無神論というか、
神様がいるとかいないとかも、考えずに生活しているような人でした。
宗教についても、
心が弱ってしまった時にすがってしまうものなのかなぁ…?くらいで、
正直、私の人生には関係のないものだと思って、
ほんの数年前まで生活していました…( ・」・)。
それが今では、まさかまさかのキリスト教なのですが☺、
そう言えば、ふと思ったのです。
これまでの人生でも、神様をハッキリ意識していないのに、
(神様を)呼び求めた瞬間はあったな…と。
例えば受験の時、
「神様、絶対絶対合格できますように!!」と、祈りましたね~。
受験関連では、お子さんの受験の時なども、
神様にすがった経験のある方はいらっしゃるのではないでしょうか?🙂
その他、例えば怪我をして相当な痛みがあった場合や、
自分や身内の方が、病気になって苦しい経験があったり、
あるいは事故に見舞われそうになった瞬間など、
そういう時も、思わず「助けて下さい!!!(>_<)」と、
本気で神様に手を合わせた経験が、
誰でも一度や二度あるのではないでしょうか?
私は、随分前(神様を意識していない頃)ですが、
すっごくお腹が痛くなった時があって、
その時はビックリするほど、段々段々痛くなって来て、
怖くなってきてしまい、遂に、
「神様、助けて下さい!! 痛いですーーーー!!!!」と、
本当に心の奥底から、叫んでしまったのです。
その瞬間、
「えっ?! 私、今、『神様』って言った???」と、
とにかく驚きました。
お腹の痛さより、
神様を当然いるかのように助け求めた自分に驚いていました!!
(※腹痛はその後収束…。何だったのだろう??😅)
やっぱり思うのです、
はっきりと信仰を持っていなくても、
自分の中のどこかでは、神様はいると思っているというか、
その存在をわかっていると言うか…。
特に日本人は、無神論の考えに慣れているので、
神様の存在を認めることには、
とかく抵抗感があるかも知れませんが、
ある時、私は認めたのです、
神様の存在を。
そうしたら何故かとても心が楽になった様な気がしたというか、
それまでも心が苦しかったと思って生きていたのではないのですが、
何だかパッと心が晴れた感じで、スッキリとしたのです。
そしてその後、
今まで神様をずっと意識せずに生きてきたことをお詫びして、
祈りつつ過ごしていると、
(少し偉そうですが)徐々に、
神様の愛のようなものを感じるようになって、
ますます心が嬉しくなって行く感覚を、
知るようになっていったのです*^^*
この辺の所は、体験してみないと分からない感覚かもしれません。
聖書の存在も大きいと思います📓。
※聖書の出だしの数節を短く区切って、ブログに掲載しておりますので、
宜しければ、是非ご覧ください⇩
・第1日目はこちら→旧約聖書「創世記 第一章1~5節」
・第2日目はこちら→旧約聖書「創世記 第一章6~8節」
・第3日目はこちら→旧約聖書「創世記 第一章9~13節」
・第4日目はこちら→旧約聖書「創世記 第一章14~19節」
・第5日目はこちら→旧約聖書「創世記 第一章20~23節」
・第6日目はこちら→旧約聖書「創世記 第一章24~31節」
・第7日目はこちら→旧約聖書「創世記 第二章1~4節」(終)と、リブリのささやき
今回の内容は、一度お話してみたかった事でしたので、
ブログ記事として投稿させて頂きました。
どなたかの参考になりましたら幸いです。
どこまでも神様からの愛に包まれて生きられる祝福を、
皆様に感じて頂けますよう、
心からお祈りいたします。
お読み頂き、ありがとうございました☺♪
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