
信仰を持ってから数年が過ぎましたが、
改めて振り返ってみて、やはり人生が良い方向へ変化していると感じています*。゚
信仰生活を送るようになって神様に祈りはじめると、
少しずつ願い事が叶っていくのを感じ、
それによって「神様は目には見えないけれど、確実に存在している」と、
実感するようになっていきました。
そして何より、これまでの人生で感じることのなかった、
『幸福感・充足感』というものを、徐々に味わえるようになってきたのです…*。゚

それほど大きく外的環境が変わったわけではないのですが、
とにかく満たされた感覚、幸せだと感じる気持ちがどこからともなく湧いてきて、
自分の人生に喜びや希望を持って生きられるようになってきました。
信仰を持つ前の私は、自分のやりたいことを突き詰めたいとの思いが強く、
才能を発見して伸ばそうと懸命に頑張っていたのですが、
結果はいつまで経ってもいまひとつ、
「横糸刺繍」にもたどり着いていましたが、
徐々に行き詰まりを感じ始め、心がだんだん苦しくなっていったのです…😢
ちょうどそんな頃、
キリスト教を知り、聖書に出合って目が覚めました。
聖書との出会いは、こちらの記事をどうぞ。

そのまま一気に信仰心を持って、神様について学び始め、
その結果、これまで宗教とは無縁の日本人として生きていて、
全く知らなかった様々なことを知ることとなりました。
いくつか挙げてみますと、まず、
・神様が存在していること、
・神様に話しかけてお祈りすると、神様は応えてくださること、
・盗みや殺人だけが罪なのではなく、
怒りや嫉妬、憎しみなどの感情、怠惰や傲慢などの姿勢・習慣も罪に値すること、
・罪はたとえ犯してしまったとしても、
神様に向かって真摯に悔い改めるならば、許してもらえること。
そして、悔い改めたその後は、神様が祝福してくださる(神様からの恵が与えられる)こと、
…などなど、
まだまだたくさんありますが、
本当にただ安穏として暮らしていただけの頃には、
全く知り得なかったことがたくさんありました。

これらのことは単に知識として知るだけではなく、
実際に実践していくことで、
神様との関係が本当に実態を持って動き始める、ということも分かりました。
日々、心を込めてお祈りするなら、神様の存在を確信していくようになりますし、
悔い改めるなら、心が清まり、気持ちが軽くなっているのを感じて感動を覚えるのです。
神様との関係は、限りなく深めていくことができると感じています。
終わりがないのです。
私は(聖書の)神様に立ち返って信仰生活を続けていくうちに、
あんなに行き詰まっていた「横糸刺繍」に再び着手するという、
不思議な経験を味わうことができました。
不思議な体験については、
こちらの記事をどうぞ。

それはまさに、これまで出来なかったことができるようになっていくという、
私にとって飛び上がって喜びたいほどの、奇跡のような体験だったのです。
しかしながら、神様に依り頼み、共に歩むことを念頭に、
1日1日とさらに信仰生活を積み重ねていくと、
奇跡のような体験をするだけでなく、
むしろ特別なことが何もない日であっても、
沸々とわいてくる嬉しさや幸せに満たされ、
喜びと希望の中で生きられるようになっていったのです。
この何の不足も感じない満たされた感覚は、
神様を知り、神様を愛することによって初めて得られるものだと、
実際に信仰生活を送る課程によって実感しています。

信仰を持つ前であっても、自分はそれなりに幸せだと思っていましたが、
心の奥では「常にどこか足りない、何かが違う」と感じつつ、
でもそれに気づかないふりをして生きていたような気がします。
信仰を持った今は、(信仰を持つ)前の自分について、
「全く満たされておらず、幸せではなかったのだ」と、はっきり認識できるようになりました。
「それなりに幸せ」ということではなく、
「真の喜び」に十分に満たされて、
心に不足を感じることなく生きられる人生があるのだと分かったのです。
『神様と共に歩むことが、
真の幸福に繋がる重要な鍵である。』
今回、どうしてもこのことを伝えたくなって記事にしてみました😊
(ほんの少しでも、どなたかのお役に立てましたら誠に幸いです。)
どうかすべての人々に、
天界からの祝福と恵が降り注がれますよう、心からお祈りしています。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
過去記事も合わせてどうぞ♪



✦「喜び」の文字が含まれる聖句 ✦
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、
ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。
<新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 5章 16-26節>

この地上に義が満ちあふれ、
真の喜びと平和がもたらされますよう
心よりお祈りいたします。

最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
*。゜ *。゜ *。゜





![リブリの横糸刺繍・図案の見方(数え方) [動画あり]](http://libli-net.com/wp-content/uploads/2026/02/IMG_7590-scaled.jpeg)


